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小林秀雄「通俗性ならざる大衆性」から考える、ブランディング・バランス

僕には2つ下の弟が存在する。
弟とのここ数年の飲みながらの会話のテーマは、まさに小林秀雄が言う「通俗性ならざる大衆性」であった。

僕は「しもつかれブランド会議」という、栃木県に1000年伝わる郷土食を現代にも楽しめるものとしてアップデートさせる活動をしている。
https://www.shimotsukare.jpn.com/shimotsukare-brand-meeting/

その「しもつかれ」には独特のクセがあり、県民を二分する料理となっている。
1000年も受け継がれてきた料理であるため、現代でも栃木県民の知名度はほぼ100%と言っていいだろう。それくらいの大衆食である。

そんな大衆性を保ったまま、現代にどうアップデートするかが近年の僕のテーマであった。
グラフィックデザイナーを生業としているため、恰好良く見せようと思えば、いくらでもできてしまう。
しかし、しもつかれが持ち合わせる「大衆性」を損なっては意味がない。そのバランスを考える苦難があった。

かたや弟は、陶芸で有名な益子町で「Art into Life」という、音楽を扱う店を営んでいる。
取り扱うジャンルは様々だが、いわゆる「実験音楽」的なものが多く、かなりニッチな市場でのポジショニング獲得に成功し、世界中の顧客を持つことに成功している。
https://www.art-into-life.com/

 

そんな弟が次に向かおうとしているのが、「クセのあるニッチな曲をどう大衆と結びつけるか」だった。
大衆に知ってもらい利益を得たいというのではなく、自身のブランドを地域に落とし込み貢献することを目指すものだ。
しかし大衆化させるということは、ある種尖った先端に丸みを帯びさせることになる。このバランスが非常に難しい。

このような互いの問いをぶつけ合うことを夜な夜な繰り返していた。
そんな時に見つけたのが、この「文藝春秋digital」の記事で、非常に参考になった。

まさに小林が言う“通俗性ならざる大衆性”のなかには“意匠ならざる常識”が、そして、その常識の土台を作っている「伝統」への眼差しがあったのです。その伝統意識の有無が、「大衆」を掴もうとしながら、結局は大衆にそっぽを向かれてしまったプロレタリア文学と、「大衆」を掴むなどという自意識とは無縁に、しかし、結果的には多くの読者を獲得することになった菊池寛(文藝春秋)との違いでした。

文藝春秋digital

 

小林秀雄の概念

「通俗性ならざる大衆性」という概念は、小林秀雄が提唱したもので、大衆に迎合することなく、高い文化的・知的水準を保持しつつ広い層に受け入れられる作品や思想を指す。この考えは、小林自身が文学や文化に対して持っていた深い洞察と、その時代の文化的背景に対する反応から生まれたものである。

小林秀雄が菊池寛の評価を再評価し、「伝統の発見」とその思想が同時期に起こったことが重要で、この時期小林は日本の伝統と文化の中に普遍的な価値を見出し、それを現代に適用する方法を模索していた。
彼は菊池寛の作品が、自らを「大衆の作家」とは考えていなかったにもかかわらず、多くの読者に受け入れられた事実に注目していた。これは、菊池が「意匠ならざる常識」を持ち、伝統に基づいた深い洞察を読者に提供していたからである。

一方で、プロレタリア文学は大衆を意識的に掴もうと試みたが、その過程でしばしば伝統から乖離し、その結果として大衆からは距離を置かれることとなった。プロレタリア文学が政治的なメッセージを前面に押し出したのに対し、菊池寛の作品はより普遍的な人間の感情や生活を描いており、これが多くの人々に共感を呼んだ。

 

意匠ならざる常識

また「意匠ならざる常識」という表現は、ある意味で「装飾や工夫を凝らすことなく、素直で自然な常識や理解」を指す。
この言葉は、芸術や文学において、人工的であったり、過度に計算された表現ではなく、自然で誠実な表現が評価されるべきだという考え方を示す。

この概念は、特に文学や芸術の世界で重要で、作品においては、作為的でなく、生活の真実や普遍的な人間性を直接的に反映する方法が尊重されるべきだとされている。
つまり、作者が読者や観者に対して何かを強制的に教えようとするのではなく、共感や理解を自然に引き出すために、よりシンプルで素朴なアプローチを取ることを意味する。

例えば、文学においては、複雑な象徴や隠喩を駆使するよりも、登場人物の日常的な会話や行動を通じて人間関係の本質を表現することが、「意匠ならざる常識」に基づくアプローチと言える。このような作品は、装飾を排した直接的で率直なスタイルを持つため、より広い読者に対して真実味があり、共感を呼ぶものとなる。
これは、デザインのプロセスにおいても同様である。

この考え方は、菊池寛の作品に見られるように、特に大衆文学において力を発揮する。菊池の作品は、特に装飾的な技巧を使わず、直接的でわかりやすい言葉で人間の感情や社会的な状況を描いており、多くの人々から愛される理由となっている。この「意匠ならざる常識」によって、菊池は広い読者層に受け入れられる作品を創り出すことができた。

 

大衆と質とのバランスの苦悩

しかし、大衆的であることと、質の高さを担保するバランスが非常に難しいと感じる。 その辺りのバランスを小林秀雄は、どのように達成していたのか。自論を展開してみる。

 
1. 深い洞察と普遍的なテーマの探求

小林は、人間の本質や普遍的な問題を深く掘り下げることで、読者が共感しやすいテーマを提供した。彼の作品や批評は、哲学的な問いかけを含みながらも、その問いかけが一般の読者にも理解しやすい形で提示されるよう努めていた。これにより、高い知的水準を保ちつつ、多くの読者にアクセスしやすい作品を作り出した。

 
2. 言語の明晰さと表現の工夫

小林秀雄の文体は、非常に練られたものであり、彼の教養の深さと精密な思考が反映されている。しかし、彼は複雑な概念や抽象的なアイデアを、比較的わかりやすい日本語で表現する技術に長けていた。この明晰でアクセスしやすい言語使いが、大衆的でありながら質の高い文学作品を創出する上で重要な役割を果たしていた。

 
3. クリティカルな視点と文化的な脈絡の提供

小林は作品に対する批評を行う際にも、ただの感想や表面的な読みではなく、作品が成立した文化的・社会的背景を深掘りすることで、読者により広い視野を提供した。これにより、彼の批評はただのレビューを超え、読者が作品をより深く、多角的に理解する手助けをした。


これらのアプローチにより、小林秀雄は文学における高い文化的、知的水準と大衆的な読みやすさとの間にバランスを見いだし、多くの読者に影響を与える作品を生み出し続けたと考えられる。

 

そして実践へ

「通俗性ならざる大衆性」。
小林秀雄の提唱したこの考えは、我々にも非常に参考になった。
これらを元に実践を繰り返し、その結果をまた共有したい。

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